【清水ケンジ】3.11の恩返しに起業!悪魔だってプラダを着るときは試着するじゃん?
2016/08/13
紙芝居で人生をたどるシリーズ【5人目】
『紙芝居で人生をたどるシリーズ』では、様々なジャンルの人物の人生にスポットを当て、紙芝居形式で送っていく。今回は、SnowSmile CEO 清水ケンジさんにインタビューをさせていただいた。
ベトナムに送還されそうになる少年しみけん
みゃーみゃーと鳴くウミネコの声と磯の香りが漂う太平洋沿岸の港街。青森県八戸市で『しみけん』こと、清水ケンジは生まれ育った。
どこにもいけない港街だったが、海だけはどこまでも繋がっていた。そんな海での漁業が盛んな八戸市の特色は、古くから外国人研修生を受け入れていたことだ。
しみけんの家の周りにも外国人技術研修生は多く、なかでもしみけんの家は彼らの溜まり場になっていた。
一般的にベトナム人は真面目だと言われるが、しみけんの家にきていたのはほとんど全員『ロクでもない奴』ばかりだった。「ワイの嫁はJKやで」とか「深キョンかわいい」みたいな話しかしていなかったという。
彼ら外国人技術研修生と関わる機会が多かったしみけんは、彼らが帰国する際には見送りに行った。ところが仲が良すぎたせいで、成田空港行きの高速バスにしみけんまでもが乗せられ、危うく送還されかけたという。
彼らとの関わりが後の起業に活かされるとは、まだしみけん自身ですら知らないころのエピソードである。
外国人研修生が賑やかな港街でスクスクと成長したしみけんだったが、高校生になると一転、グレてしまった。その理由はというと、好きになった女の子が『もんのすごいプレイのAV』に出演していたからであった。
グレてみたところで、やることと言ったらトイレのドアを蹴りまくることくらいである。それ以外にはやることがないので、ファッション誌を買い漁ってはスクラップブックにまとめたり、田舎である地元から都会に出たくて受験勉強をしたりしていた。
iモードにハマった大学時代
田舎にあった地元から出て行きたくて一生懸命受験勉強し、しみけんは見事に地元から出ることに成功した。その結果なぜか、さらに田舎の山形県に来てしまった。
そこの大学では理工学研究科で情報科学を専攻した。
そして、そこでできた仲間たちとクラッキングなどをして遊んでいた。また、 iモードが好きでハマっていたが、メール機能に不満があってメーリングリストサーバーをたてることもしていたという。というのも、当時あったサービスであるiモードには、今のLINEのグループチャット作成機能のようなものがなかったからである。
「ひゃっはー、これで単位ゲットだぜぇ」と喜んでいた。が、しみけんの仲間は全員『アホ』だったので、テスト中にケータイをバイブモードに設定しており、カンニングがバレてしまう。
さらに追い打ちで、中国からクラッキングされてしまい、大学側に怒られてしまった。
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iモードは複雑系の自己組織化という考えを使っており、モバイルが好きだったので大学院では複雑系を専攻した。
しみけんはjavaアプリが動くfoma F900iTにハマり、全面タッチパネルと自由度の高い入力インターフェイスが描く未来を想像していた。
また研究では、マルチエージェントシミュレーションで仮想的なeコマースを作って、いろんなフィルタを掛けて遊んでいた。
インプットとアウトプットのみの単純な動きをするエージェント(ecの顧客)を組み合わせて、テレビCMの効果や口コミマーケティングの効果をシミュレートしていたのだ。
例えば、TV CMやamazonのおすすめ商品のアルゴリズムを試してみたという。TV CMだとテールの売れ行きは爆発的に増えるが、商品寿命は短い。一方、Amazon的な口コミやレコメンドの仕組みだと売れ行きはそこそこだが、商品寿命が長い(ロングテールの状態になってる)のだという。
企画がボツになったり、ナイフで刺されそうになったり
大学院を卒業した後は、とあるIT企業に入社し、新規事業開発部に配属された。そこでは、携帯電話を利用した名刺交換ツールの企画を担当し、事業化寸前まで漕ぎ着けた。
しかし結局、お偉いさんの社内政治によってその企画はボツになってしまう。結局その企画は、数年後に別の企業によってそのスマホ版が数億円の資金調達を受けるようなものへと化けていた。
仕事では歯ぎしりする悔しい状況の中、プライベートでも大変なことが起きてしまう。
2回もナイフで刺されかけてしまったのだ。この事件で身の危険を感じたしみけんは、北に渡ることを決意したのだった。
北の国には、愉快な仲間がいた
北へ渡った当初は、東京での事件が頭から離れずに相当滅入っていた。が、人と関わらないとダメになると思い、ゲストハウスに住むことにした。
そのゲストハウスには、約20ヶ国から来た70人くらいの人間が住んでいた。そこを選んだ理由はイノヴェイションとかダイバーシティとかではなく、他のゲストハウスに連絡がつかなかったからである。
とにかく躍起になって、人の多いリビングにいたものの、一日中誰とも話さないこともざらであった。
一日中無言のしみけんであったが、共同キッチンでの料理には本気を出すという『わけわからん感じ』だったので、周りも次第にしみけんに興味を持ち出した。さらに彼らは気のいい人間ばかりであったので、しみけんの心も徐々に開放されていった。
また当時、その施設ほどの大規模なゲストハウスは珍しかったらしく、頻繁にテレビの取材を受けていた。
ある日のこと。その日はNHKの生中継があり、NHKの取材陣がそのゲストハウスを訪れていた。取材・撮影は無事に終わり、撮影後はそのまま鍋パーティーを行った。パーティーは盛会で、皆のお酒も進み、全員酔っ払っていた。
そしてしみけんがふとケータイに目をやると、実家からの着信があった。
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父の訃報だった。
地元に帰ったのは、2011年3月11日の少し前
交通事故の連絡があり、通夜を済ませて3/10に火葬した。3/11は友引の中日だったので、次の日に行われる本葬に向けての準備をしていた。
14時46分
「地震だ」
その地震はいつもより長く揺れていたが、地震が頻繁に起こる土地であり、縦揺れでも無かったので、しみけんはそれほど慌てることもなかった。停電も発生していたが、それはいつものことであり、悪い意味で正常化バイアスが働いていた。
とはいえ、一応、避難しようとしみけんは外を確認してみた。すると、みゃーみゃー鳴くウミネコの声どころか他の動物たちの生きている音もせず、磯の香りどころかドブ川をひっくり返したような強烈な磯の匂いが鼻の粘膜をついた。
奇妙な静寂の中でガンガンと頭に響く大津波警報のサイレンの音は、しみけんの頭に、子供の頃に観た太平洋戦争映画の空襲の場面を思い浮かばせていた。
直感的に「ヤバい」と感じたため、海の方向を眺めている老人に「大津波警報が出てる。避難しろ」と伝えた。が、その老人が無事に避難できたかは、今となっては分からない。
しみけんは父の骨を持ち、足の悪い近所の婆さんを連れて家族と共に高台へと避難した。海を一望できる高台の避難所へと向かった際に、祖父の代から面倒見てくれている爺様の安否を確認しに行った。
その爺様は、双眼鏡を片目にあてて「船頭はなぜ沖に逃がさない!馬鹿野郎が!」と叫んでいた。船は沖に逃がすことで、損壊を防ぐことができる。しかし、その時は休漁期だったため、船を沖に退避できる船頭さんたちは沖に上がっており、揺れのすぐ後で船を逃がすことはできなかった。
また、港や橋は押し寄せらた船舶で破壊されていた。それを見て歯ぎしりする爺様であったが、しみけんたちのことはいつも以上に気遣ってくれた。その夜にはおにぎりを握ってくれて、毛布までも貸してくれた。
そしてその日は、父の骨とともに一晩を明かした。漁師町のためか、火葬を行ってから本葬を行う地域であったこと、3.11が友引であったことに多少なりとも救われた。
前代未聞の震災で、当然父の葬儀は中止だとしみけんは思っていた。死んだ人間より生きている人間が優先なのは明らかだ。父の関係者達にも、まずは自分達の身の安全の確保に気を配って欲しいとしみけんは願った。
しかし、住職の好意で葬儀は開かれた。決行の連絡をしてなかったにも関わらず、大勢の人が葬儀に駆けつけてくれた。彼らの家や職場も津波の被害にあっており、明日どうなるか分からない状況であったが、喪服に長靴を履いて駆けつけてくれたのである。
また、ゲストハウスに住んでいたニュージーランド人のニックは、狸小路商店街の飲み仲間100人近くから義援金を集めてくれ、ゲーム好きで来日していたフィンランド人のヤンは医療ボランティアとして仙台入りしていた。震災直後にワーホリで来日した台湾人のチェンとしみけんは、今でも一番の親友だ。
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自分たちの生活があるにも関わらず東北、日本を支援してくださった国々と、父のために来てくれた人たちとが、しみけんの中で重なっていた。
ぶっ飛んだ論理であると理解してはいたが、しみけんの衝動は抑えられなかった。
直接会ってお礼をしたい。オレの空っぽの頭は下げるためにある。オレの手足は這いつくばっても前に進むためにある。
悪魔だってプラダを着るときは試着するじゃん?
震災でお世話になった国々にお礼を言って回るにはどうしたらいいかと、しみけんは『空っぽの頭』で考えた。その結果、考えついたのが『起業』である。
オレはサービスは作れても道路を作ることができない。オレはオレのできることをしよう。
外国人と寝食を共にしてるので、幸いにも、日本の何が彼女たちにウケるのか肌感覚で分かっている。
また、マイナスからゼロにするのは負けん気などのネガティヴな感情でも可能だが、ゼロからプラスにするにはポジティヴな感情が必要だ。しみけんの場合、そのポジティヴな感情を生み出すものがファッションだった。
こうして始動したのが、ネイルアプリの企画である。
ネイルアートは全世界のファッション市場のおよそ15%を占めている。また、金額ではアメリカ、中国、日本が大きいものの、割合では15%を下回っている。一方で、新興国では15%を越えている。
つまりネイルがファッションの入り口になっているのだ。
しかしネイルの欠点は試着ができないことである。いくら塗り直しができると言っても、何度も塗り直ししていたら爪が傷んでしまう。
そこで考えたのが、3D CGのネイルをARで試着できるスマホアプリNailCuteの原案だった。
悪魔だってプラダを着るときは試着するじゃん?ネイルに試着がないのはおかしいかなって思ってさ。
また、今のLINEクリエイターズスタンプストアのようなユーザー投稿型のネイルシールストアを作る計画も進行していた。
この企画の始動理由として、(語弊があるかもしれないが)絵を描くことは習得するためにかかるお金が少なくて済むという理由と、売り上げのレベニューシェアによって、眠っているデザイナーの卵を呼び起こせるんじゃないかという狙いがあったという。
さらに、貧困層の雇用と流通網拡大の計画も考えていた。カーゴバイクを改造した移動式ネイルサロンを作り、その上でネイルシールの流通網も拡げつつ現地に展開すると、小資本なのでPDCAサイクルが回しやすい。これを利用して、新興国や途上国、国内でもシングルマザーなどの貧困層の雇用へと繋げていこうとしたのである。

裏切り、掌返し、足の引っ張り合い
企画は軌道に乗り始め、出資のオファーが何件か来た。ところが、そのどれもがあと少しのところで途切れてしまう。
ドバイの個人投資家からの出資は、日本のリードVCをつけるという条件があったために断念。シンガポールのテレビ局主催の、優勝すれば1.6億円のシードマネーが付くプログラムでは、最終予選まで残ったがそこで落選してしまった。
あと数ヶ月でアプリのリリースというところまで漕ぎ着けたが、散々待たせられた某官民ファンドの答えは「社員数が少ないからダメ」とのことだった。
また社内で、裏切り、掌返し、足の引っ張り合いなど、スタートアップにありがちなことが頻発してしまう。
しみけんは比較的タフではあったが、さすがにこの時期には心が折れそうだった。
そのときにアイスタイルの山田メユミさんに会えたのは不幸中の幸いだった。適当な雑談しかしなかったが、彼女の「世界に出せる仕組みを持っているのに出さないのは勿体ない」という言葉は、しみけんを足掻かさせるには十分であった。
その言葉をバネに、3.11のお礼をできていない日本政府の代わりに、民間で開催するお礼代わりの台湾でのイベントに参加させてもらった。そしてその後もベトナムでのイベント等を次々と成功させていったのだ。
しかし、イベント単発で成功させても、資金が無いため次に繋げられないような事が続いてしまう。そしていつしか、資金面としみけんの肉体は限界に達してしまっていた。
ホームレスに
自転車操業でなんとか続けていたが、限界だと判断し債務処理を行った。「これで生活が随分楽になるはずだ」と思ったのも束の間、何かの手違いで口座が凍結されて無一文になってしまう。
そして、路上を当てもなく歩いていたら行政に捕獲されて、路上生活者自立センター、通称『段ボールハウス』に打ち込められてしまった。
段ボールハウスでは、ルームメイトに長野刑務所でホリエモンの先輩となるおじいちゃんがいて、両津勘吉のようなキャラで皆から好かれていた。しかし最終的に詐欺をして、しみけんのお金をもって消えてしまった。
また、段ボールハウスの浴場に備え付けてあるシャンプーは『メリット』であったが、それを使ったことで髪の色素が抜けて『チンピラ』のような風体になってしまった。メリットにはデメリットしかなかった。
その所為か定かではないが、1日に2回も職務質問にあったり、それが面倒くさいのでお巡りさんとカバディをプレイしたこともあったという。お巡りさんはチームメンバーを入れ替えできるので、ルールに反則していた。卑怯である。
しみけんは適応力が高いので、段ボールハウスでの生活1ヶ月間ほどは平気だったが、徐々に精神的に擦り切らしてきたため、段ボールハウスを抜け出した。
そして現在は、街の平和を守る謎のお仕事をしており、 チンピラや武装ホームレスから街を守っているという。
おまわりさんとはカバディをした仲ですからね。シミザップで戦力もあがっております。
「てめえん家に火をつけっからな!」
残念だ。オレには家がない
「どうやって生きたらいいんだ」
知るか。生まれた事を恨むのならちゃんと生きてからにしろ。
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ホームレスやちんぴらに絡まれるのも飽きてきたので、そろそろネイルのお仕事に戻ろうかと思います。
成功も失敗も経験したしみけんだからこそ見える世界がある。ネイルの企画の再開を目指すしみけんに、今後の目標を聞いてみた。
「女の子が可愛ければそれでいいじゃん?」
ネイルアプリ開発の目的を冗談交じりにそう語る、しみけんらしい目標である。今後NailCuteが完成し、それによって『女の子が可愛くなる』という夢は、皆に共通するものではないだろうか?
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