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【読者企画】奥田絵美さんインタビュー① 転勤族のママになって

      2016/06/29

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■ 奥田 絵美さんプロフィール
福岡県久留米市出身。社内結婚で転勤族の妻となり住居・キャリアを転々とする。自身が不安で孤独な育児経験をしたことからSNSを活用した母親向けコミュニティ「ママそら」を立ち上げ、半年後に法人化。大企業とのコラボや女性の就業支援を実施。現在1万人以上の会員を擁する。 FMラジオ「ママそらモーニングcafe」パーソナリティ。著書に「新しいママの働き方」(アチーブメント出版)がある。1児の母。
 

社会人のスタート 20歳 〜営業の楽しさを知る〜

小室:本日はお時間を取って頂き、ありがとうございます。

奥田:こちらこそ、宜しくお願い致します。

小室:奥田さんが立ち上げた株式会社ママそらのWebサイトを拝見しました。1つ1つのページに多くのママとお子さんの笑顔がありとても和みました。そんな場を作った経緯、事業内容、今後の展望について聞かせて下さい。

奥田:ありがとうございます。夫が転勤族なので4回の引越し、4回の転職。いきあたりばったりの人生で起業に至るまで少し長くなりますがお話ししますね。

 私は短大卒業後、大手証券会社に就職しました。学生の頃にはキャリアウーマン願望はなく、「大手企業に入社すればそこの人と結婚できるかな」という緩い動機で就職活動をし、最初に内定をいただいた大手証券会社に就職することにしました。入社するまでは受付や店頭業務での華やかなキャリアライフを、と思っていたのですが、実際の配属は体育会系の泥臭い営業。投資アドバイザーとして飛び込み営業、新規開拓がキャリアのスタートでした。

 入社した2001年はエンロン事件やNY同時多発テロなど厳しい相場環境の時。胃が痛くなるようなことも時にはありましたが、上司や同僚にも恵まれ、営業が天職だと思えるほど仕事が好きになりました。

 

キャリアについて考える 23歳 〜自分探しの1年〜

奥田:入社して3年、今後のキャリアについて真剣に考えるようになった頃、支店統合による早期退職の募集がありました。退職金の額に迷わず手を挙げ、割り切って退職しました。

 その資金を元手にデイトレードしながら、NYに短期留学、お料理教室へ行く、色々なセミナーへ行く、ふらふら1年ほど自分探し。

 証券会社時代、中小企業の社長のお客様が多かったことから漠然と起業したいという思いはあったのですが、具体的なアイディアは浮かびませんでした。そんな中、ある起業セミナーで「今何をしたらいいかわからない人は経営を学ぶためにベンチャー企業で働くのも一つの方法」とのアドバイスをいただき、今度は大手企業ではなくベンチャー企業に絞って就職活動をしました。

 

福岡 24歳 〜ベンチャー企業で人の成長を応援する喜びを知る〜

奥田:そして語学留学やワーキングホリデーなど留学を斡旋するベンチャー企業に就職しました。

 NYの短期留学が刺激的だったからですが、上場を目指していたのでストックオプションで少しは儲かるのではという期待も多少なりとてありましたね(笑)。

 そして頂いた肩書は「留学カウンセラー」。一見、華やかなものでしたが、実際の仕事はまたも厳しいノルマのある営業でした。多くのお客様は本気で留学したいというより、現実逃避をしに海外行きたいなという考えを持っていました。そのためか、いったん留学したいと言っても話が進むと、今度は「資金がない」「親が反対する」と行けない理由を自ら挙げることが多いのです。

 一緒にアルバイト先を探したり親を説得したりとできない理由を1つ1つクリアして頂くようにする。「今の状況を変えたい」「一歩踏み出したいけど勇気がない」という方々のために目標を設定し背中を押すのが実際にしていたことです。ちょっと強引かなと思う時もありましたが、いったん渡航したお客様から帰国後に「あの時、背中を押してくれてありがとうございました!」というお礼の言葉をかけて頂くことがあり、何とも嬉しかったです。

 今はママの就業支援をしていますが、「一歩踏み出す応援をしたい」「勇気やきっかけとなれたら」という想いは同じですね。

 留学という仕事上、現地との時差があり帰宅は深夜になることもありましたが、社長の近くで社員一丸となって必死に働きました。上場を目指していたので経営というものを間近なものとして感じていたのです。

 いよいよ上場が決まり、銘柄コードまで取得したのですが… 会社全体で何かと無理をしていたのがたたったのか、いざという時に上場中止になってしまいました。そして尊敬していた社長と取締役が退任。私自身も働きすぎて体調を崩したり、嘘みたいな話ですが、あごひげみたいなものが生えたりと女性としての危機を感じ、潮時と考え退職しました。身も心もかなり疲れていたのでしょうね。

 

東京 26歳 〜新しい価値を生み出す喜び〜

奥田:退職と同時期に証券会社の時から付き合っていた彼が東京へ転勤になりました。いつかは東京で働いてみたいという思いもあったので追いかけて上京し、前職の経験から起業は頭から諦め、気楽に働こうと派遣会社に登録。大手監査法人の人材開発部でセミナー企画・運営をする仕事に就きました。

 最初は任された仕事だけをこなしていたのですが、やはり私は仕事好きなのですよね。業務改善の提案などをしていたら派遣社員から正社員に引き上げて頂き、さらにe-learning導入のプロジェクトメンバーの一人に抜擢されました。

 公認会計士は年間40以上の単位を履修することが義務付けられています。当時の単位取得方法は主に集合研修でした。そこにe-learningを導入しようという構想が持ち上がったのです。しかし、その当時e-learningは認められていませんでした。

 プロジェクトメンバーが協力して公認会計士協会やシステム会社と交渉を重ね 、条件付で単位履修が認められることになりました。そしてコンテンツを制作する日々へ。結局プロジェクト完了まで二年がかりと大掛かりなものになり、終電で帰る日があるほどでしたが新しい価値を生み出す喜びを感じました。

 チームで理事長表彰もとり、女性が活躍しやすい職場だと思ったため、結婚・出産してもこの法人でキャリアを積んでいこうと考えるようになりました。そしてめでたく結婚したのです。

 

沖縄 28歳 〜ママになり〜

奥田:仕事が軌道に乗り、昇格への展望が開けてきたところで夫の沖縄への転勤辞令。同時期に妊娠したこともわかりました。監査法人側はなんとか続けられるように一緒に手立てを考えてくれたこともあり、いっそ単身赴任にしようかとも考えましたが、地元でもない東京で一人で出産するのは難しいこと。結局キャリアアップを諦め夫と一緒に生活することを優先しようと考え、数ヶ月の単身赴任ののち、私も沖縄へ行きました。

 いざ沖縄に引越ししたら、社会とのつながりがぷっつり途絶え、自分の無力さを痛感しました。前職への未練が残る中、同僚の昇格の知らせを聞いたときは「おめでとう」と言いながらも本当はとても悔しかった。また、夫以外知り合いのいない不慣れな土地での初めての妊婦生活は孤独と不安でいっぱいでした。妊婦なのでお酒を飲みに行くことができず、働くこともできず、どうやって友達を作っていいかわからなかった。マタニティ教室にでも行こうかなと思いましたが、男性社会で生きてきたのでママや女性の集団に苦手意識があり躊躇してしまい、結局家に引きこもってしまいました。

 一人でも平気だよ、と自分に言い聞かせていましたが、福岡から遊びに来てくれた母が帰る日、空港で見送ったら涙が止まらなくなり、自分が無理していることに改めて気づきました。

 そして出産。しばらく月日が流れ、引きこもっているばかりでは赤ちゃんにも自分にも良くないと思い、勇気を出してベビーマッサージ教室に行くことにしました。とは言うものの、最初はママ友の輪に入れなかったらどうしよう、ボスママみたいな人がいたらどうしよう…とドキドキしていたものです。でも行ってみると全然違そんなことはありませんでした。みんな新米ママで、同じような子育ての不安や悩みを抱えており共感することもたくさん。ママ友が自然と出来、その存在が心強かったです。

ベビースクール時代

 

 ベビー教室に来るママたちと話しているうちに気がづきました。女性にとって出産は大きなライフイベント。環境の変化、慣れない子育て、2時間おきの授乳。自分のことは後回しになり、だんだんと社会から遠ざかるような感じがして自信がなくなっていくんですよね。一人でいるといろいろ考えてしまって、子育ても辛いものになってしまうんです。だからベビー教室を卒業した後は自宅でママ会を開くなど、ママの交流の場を作っていました。

 そんな中、子供が1歳になるとママ友は次々と職場復帰していきました。一方、私には戻る場所がなく…忘れていたキャリアへの未練がよみがえりました。ハローワークで仕事を探してみたものの、また転勤が近いのではないか、と積極的になれずじまい。在宅ワークも調べましたがあまりの報酬の低さに愕然としました。

 そんな時にベビーマッサージ教室でお世話になった助産師さんと再会し、夫の転勤であと半年しかいないかもしれないのでボランティアでいいからお手伝いさせてもらえないかとお願いしたところ、企画・営業としてパートで雇ってもらえることになりました。市役所に行って母子手帳と一緒に教室のチラシを配ったり、ベビー用品店の前に場所を借りて妊婦さんや赤ちゃん連れのママに積極的に声をかけて会員さんを増やしたりと精を出しました。その結果、教室のメニューをベビー期だけでなくマタニティ期から1歳までと長く通えるようにレッスンを増やせるようになり、サロンはどんどん大きくなっていきました。

沖縄最後の日

 

東京 30歳 〜朝の空を眺めて〜

奥田: 助産師さんとの仕事がスタートして半年後、子育ても仕事も両立して充実してきた頃に夫の東京への転勤辞令。覚悟はしていたものの複雑な心境でした。

 このまま沖縄にいたいという思いもありましたが、子どももまだ1歳半。やりたいことは諦めてついていくしか選択肢はありませんでした。とは言いつつも、夫の転勤のたびに築いてきた友人関係やキャリアを毎回毎回手放すことに強い疑問と何とも言えない切なさ、悔しさを胸の内に溜め込んでいました。

 

 東京に移り、引越しの片づけが終わった時、ふと思ったのです。

 今までいったい何をしてきたんだろう。
 これからどうなるんだろう。

 そう思うと涙がポロポロ出てきました。手に職さえあればどこに転勤になっても続けられるのではないかと考えて資格の資料請求をしましたが、かえって分からなくなって途方にくれるばかり。

そんな時、何気なくベランダに出てみるときれいな朝焼け。思わず撮影しました。

その写真をFacebookに投稿すると、沖縄のママ友からコメントが。

「私も同じ空を見ていたよ。みんなつながっているね。」

 

遠く離れていても心通じ合える。
そうだ一人じゃないんだ。
私のように不安や孤独を抱えたなママが全国にはたくさんいるはず。
きっと、きっと私にはできることがあるはず。

朝焼けの写真2

 

続編は来週月曜日午前7時に掲載予定です。
■今後の予定
第2回:ママそら創業と発展

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